小さな親切、大きなお世話。

 今日の言葉

危機感はあればあるほど、情熱が湧いてくる。不安など感じていては、本当の自分の

人生はわからない         (岡本太郎

 

 大谷翔平が止まらない 3戦連続弾

いずれは打者でいくとは思うのですが、気持ちがいいですよね、メジャ-で精一杯暴れ

ていただきたい、日本の誇りとなれ、 イチロ-選手や野茂選手・松井選手と肩を並べ

る選手になってもらいたい、いやそれ以上の選手になるかもしれない、

世界のイチロウ、世界の福本、世界の王、に世界の翔平というぐらいになってもらいた

いですね。

 

 

 

小さな親切、大きなお世話、より引用

聖書には「汝の敵を愛しなさい」ということが書いてある。 敵を愛せば、戦は回避で

きるのだろうか、敵をにわかに好きになれるものだろうかね。

聖書をよく読むと、敵だった相手を、心から好きになれ、と命じてはいない、たとえ

心の中では、同じような憎悪が残っていても、行動において、相手が好きである場合と

同じように行動をせよ、ということらしいのだ。 心理の実態と表現は、乖離していて

も許されるというのである。

少しぐらいの嘘をつけることが出来なければ、人生を生きることは出来ないのでは、

その嘘はその場しのぎのものではなく、深い配慮の結果でなければならないし、それが

危機回避のために必要なものでなければならない。

こころの中は、どうであろうと、行動と表現だけは相手を許し、相手のために思い、優

しく穏やかに振る舞えばいいのだ、ということらしい。 それで心がだいぶ楽になる事

だろうか。

でも 世の中には相手のことを思わず、自分と違う意見の者を貶めても平気な人もいる

ものだ、自分たちと思想、考えが違う者に対しては何をしても許されるのだろうか?

普段は人の人権に対してはたいそうなことを言う人たちが、自分と違う思想、意見のも

のに対しては何をしてもいいのだということが、私にはわからないのだ。

違憲は違うが同じ人としての人権というもの認めるべきではなかろうかね。

リベラルと云われている左翼の人たちにそれが多いように思うのだ。左翼は自分たちの

ことは何でも許されるが、違う意見の者は何をしても許されるというのはどういうこと

か、左翼は人権を 差別を、格差をいうとビジネスになるのかな、また護憲とか、

慰安婦とか、反原発とか、反戦とか、言うとお金になるのかな? そういったものが、

無くなると困る人が、左翼 共産党支那、在日韓国朝鮮の人たちかな?

支那や朝鮮や日本もですけど、単一の民族ということはありえないのです、 朝鮮も

北と南も同じ民族であるわけがない、朝鮮という名前だって李成桂が半島を統一したと

きに明国の皇帝から朝鮮という国名をもらったもの、それ以来半島は明の属国として生

きてきた歴史もある。日本も島国だから単一民族ということはありえない、方々から

日本列島に渡ってきた人たちで成り立っている、多民族共生国家ということをわからな

いといけない、皇室をよりどころにして日本が一つにまとまってきたという歴史もあり

ます。

日本が日本として、誇りを取り戻すには、大東亜戦争の敗戦からのGHQ自虐史観

はなく、戦後体制を終わらせるためには、憲法の改正と教育制度の改革が何としても

必要なんです。 憲法の改正、教育制度改革を成し遂げて日本の戦後が終わるのでは

ないかと思われます。 左翼 にとっては嫌でしょうけど戦後体制は左翼にとっては

既得権ともいうべき制度というか、体制ですもの、 でもそれを打ち壊さないと、

日本の敗戦の呪縛は終わらない。

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