日本で本当に憲法の改正ができる日が来るのでしょうか?

差別と区別

なんか 最近 差別と区別というものが、関係なくなってきているような気がしますが

どんなもんでしょうね。これは区別でしょうというのでも、差別だと批判をされる、

たとえば 男と女 日本人と外国人 健常者と障碍者 というように、何かというと

差別するなとか、ヘイトスピ―チはいけないだとか、確かにヘイトスピ―チはいけませ

ん、差別はいけない でも人間社会では区別は必要なことなんではないでしょうかね。

 なんか 平和団体とか、人権団体とかいうわけのわからない団体はなんなんですか?

左翼 共産党系、チャイナの人権侵害には素道理でっすか、チャイナの支那のことは

批判をしないのか、プレスコ―ドにでも書いてあるのか、WGIP ウオ―ギルトイン

フォメ―ションをいまだに守っているの、なぜかな、 今は中国 支那の 共産国

人権侵害は国際的な問題でしょう、なぜ平和団体や人権団体は声をあげないのか?

他国の事だから、日本の事だったら盛んに騒ぐのに、支那のことはだんまりですか?

そんなに共産国がいいのかな、日本の国体を壊そうとしているのか、共産国に民主主義

はありませんよ、共産主義と民主主義は相反するものなんですがね、これもなんか

勘違いをしている人が、日本には多いような気がします。

 

なぜ日本に共産党が生き残っているの、国際的には共産党は反社会団体となっているは

ずですが、なぜに日本で性懲りもなく共産党が生き残っているのだろう、

そういった法律を制定をし、共産党共産主義者を取り締まる法律が必要です、憲法

共産主義者 左翼暴力集団の取り締まりを明記してもいいのではないかと思います。

戦前は共産主義者を取り締まる法律として、治安維持法があったのですけど、もう一度

治安維持法のような法律が必要になってきているのかもしれない。

 

今 安倍内閣憲法改正が出来なかったら、これから もう憲法の改正はできないかも

しれない、戦後70年以上が経過してやっと その機運が出てきたこの時に是非に憲法

の改正を成し遂げてもらいたいものだ、憲法の改正がなったとき日本の戦後というか、

大東亜戦争の敗戦から、日本の誇りを取り戻す時なのかもしれないのだ。